12 9月
  • By CWS JAPAN
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【インドネシア/サイクロン・セロージャ】インドネシアの島を渡って

CWS Japanは、2021年4月にインドネシア東ヌサ・トゥンガラ州に上陸したサイクロン・セロージャの被災者支援を2022年1月迄、実施しました。詳細な支援内容やどれだけの方々に支援を届けられたかは、ニュースレターNo.67で報告させて頂いた通りですが、今年の7月の事業終了後から半年たったタイミングで、現地調査活動を実施しました。

今回の調査の目的は、特に防災支援において、CWSによる支援の効果を確認することでした。まだ、現在も調査活動は継続中で、分析を進めているところですが、この記事では、対象地を初めて訪れたわたしの感想やインタビューを通して得られた裨益者コミュニティの知恵やストーリーをお伝えします。

支援対象地域であるヌサ・トゥンガラ諸島の東ヌサ・トゥンガラ州Malakaは首都のジャカルタがあるジャワ島から、まず4,5時間のフライトでKupangまで着いたあとに、車で8時間程度(トイレ休憩をはさみ、渋滞に巻き込まれると10時間!)走らせた場所にあります。とてもきれいな景色でしたが、長い旅路に感じました。

KupangからMalakaまでの道中

現地の慣習と知恵

Malakaでは、チークの木が生えています。そこで造られるチーク材を使った家具は、堅く強靭で耐久性のある素材であるため、チークで造られる家具は人気もあり、東ヌサ・トゥンガラ州外で売買されるときは、州内で購入できる価格より3,4倍高額になることもあるそうです。筆者が木材や椅子を手にした時も、その重さに驚きました。木の高さは30mを超えるものもありますが、そこまで成長するには5年程度はかかると現地の人々が教えてくれました。

現地では、椅子等の家具や、家の窓枠等にもチークが使われています

そんなチークの木ですが、家具としてだけではなく、サイクロン・セロージャが上陸し、洪水が地域を襲った際にも、活躍しました。洪水で氾濫した川沿いに植えられたチークの木に土砂や大きな物が流れ込んできましたが、それらを木々が堰き止めたと報告があった現場を見ました。チークの木はその重量に加え、根っこが深くまではるため、土砂や水流に倒されることがなかったようです。

現地コミュニティの人々に聞くと、どうやらこのような災害リスクの軽減を意図して川沿いにチークの木を植えているということがわかりました。対象コミュニティには独自の慣習・ルールがあり、その一つに切っていい木と切ってはいけない木が決められているようです元々は人々を水害から守るという意図はなかったようですが、そこでの被災の経験と知恵の中から、災害から身を守ってくれる木を大切にし、川沿いに植林されるようになったと推察します。このような緑の堤防・防潮林は日本でも存在しますが、今回訪れた対象地域のように、昔からある独自の慣習やルールが伝承される過程で、蓄積された知恵や経験が作用し、人々の生活を災害から守る形になっていったのかと想像すると、不思議な感動を覚えました。

洪水で流れてきたものを堰き止めていたチークの木

キョウコなキョウジョ

今回の調査で驚いた点は、コミュニティ内での強固な共助関係が対象地域でも薄れていると聞いたことでした。普段、都市部に住んでいるわたしにとっては、そもそもそこにはコミュニティが存在しないため、防災を推進するうえでは、まずコミュニティや顔の見える関係の形成を行い、その次に共助の意識を醸成することが一番の課題として頭に浮かびます。インドネシアの対象地域では、コミュニティや顔の見える関係は存在しますが、そこでの共助関係は年々薄れていっていると聞きました。例えば、共有資源を維持するための集合的な行動がとりにくくなったり、他者の世話を焼くお節介さん行為が少なくなっていたり、他にも、上述したコミュニティ独自の慣習やルールも、以前より守られなくなったりしているそうです。
その一方で、ある耳の聞こえない女性の方が、近所の若者たちの咄嗟の判断によって助けられ、安全な場所に避難できたというエピソードを聞きました。現地の人々はコミュニティ内の支援が必要な人々、自ら支援にアクセスできない人々を日々気にかけていますし、災害直後に支援物資を配布する際も、コミュニティの中では、彼らのような脆弱な人々が一番に優先されました。年々薄れていっているという共助関係は、日本の都市部に住むわたしからみると、充分なものに見えました。彼らが昔から育んできた「強固な共助関係」がどのようなものか、より深く知りたくなりました。

被災地の人々とプログラムメンバーの集合写真@CWS

調査の結果は今後、CWS JapanのSNS等を通して配信予定ですので、是非楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。