04 11月
  • By CWS JAPAN
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ララを支えた三人の宣教師たち③その1

ララとCWSをつないだキーパーソン

終戦後の混乱の中でララを通じて、戦勝国アメリカと敗戦国日本の友好を築いた立役者は、戦前から日本に宣教師として派遣され、生涯をかけて日本に奉仕した3人のララ代表です。その中でもララとCWSをつないだ重要人物が、ジョージ・アーネスト・バット博士でした。バット博士の存在を知ったのは、今年の初めに東京YMCA職員の方から紹介された1冊の本「愛わがプレリュード カナダ人宣教師G.E.バットの生涯」(新堀邦司1994年)がきっかけとなりました。私はこの本を読み、彼が日本側のララ中央委員会実行委員長をCWS日本代表として務めたことを知りました。

バット博士とCWSのつながりを求めて

「ララの参加団体にも入っていないカナダ合同教会の宣教師であるバット博士がなぜ米国の組織であるCWSの日本代表に任命されララの中心人物となったのか?」その問に対して、国内外の関係者から「それはバット先生が日本語を話し、戦前に日本で活動していたからだよ」と言われました。もちろん、その答えは間違っているとは思いませんでしたが、それだけではないCWSの設立にも関連する話なのではないかと直感しました。その答えは日本では見つけることができず、この夏のシカゴ会議の後に足を延ばしたトロントで見つけることができました。バット博士を送り出したカナダ合同教会(UCC: United Church of Canada)と日本の教会との交流は19世紀にまで遡ります。同教会はその前身であるカナダ・メソジスト教会の頃から日本に向け多くの宣教師を派遣してきました。彼が理事を務めていた都内の東洋英和女学院を創設したのもこの教会です。CWS Japanも先の東日本大震災や熊本地震で同教会から多大なご支援をいただきました。この夏、それらのお礼や事業の進捗報告も兼ね、トロントにあるUCC本部を訪ね、アジア地区担当のパット・エルソンさんをはじめとするチームの皆さんに面会することができました。

実は、CWS本部関係者同様、UCC本部職員もバット博士の存在やUCCがララに関わっていた史実について私から問い合わせがあるまで知らなかったと開口一番に言われました。それは、支援していた北米側の教会があれだけの大事業に多大な貢献をしていながらも、その実績を後世に敢えて語り伝えようともせず、当時の記録は公文書館に静かに収蔵されていただけということを意味しています。また同時に支援を受けていた日本側でもララを支えていたのが数多くの北米の教会であり、信徒であることもこれまであまり語られることはありませんでした。そこにララの精神である公平・公正さ、ララに尽くした支援者側の日本人に対する様々な配慮や謙虚な姿勢が見られます。そんな話も弾み、パットさんと同僚の皆さんから歓迎を受け、トロントを離れる前日にカナダ合同教会の公文書館を訪ねることにしたのです。

カナダ合同教会公文書館にのこされていたもの

私の問いの答えを探すため、1日朝から閉館まで公文書館で過ごし、1945-1946年に書かれたUCC海外宣教委員会議事録、バット博士の手紙、報告書、伝記等々の発掘調査を進めました。最後に当たりをつけ、設立当時CWSを構成した一団体だったForeign Missions Conference of North America(北米海外宣教協議会)の議事録と手紙の中にその答えを見つけることができました。バット博士は開戦後も他の宣教師が次々と引き揚げていく中で、1942年まで日本に留まり、周囲からの説得に応じ、カナダへ一時帰国されました。しかしながら帰国後も終戦後日本で行う救援活動のための準備を進め、終戦した1945年12月には同協議会日本支援準備委員会によって日本への再赴任が正式に承認されました。この北米海外宣教協議会はCWS創設時の構成団体の一つであり、CCRAはCWSが設立後、吸収合併した団体です。UCCはこの協議会に1930年代から加盟していました。バット博士が日本に再赴任した当初の所属はアジア救済教会委員会(CCRA)であり、北米海外宣教協議会よりカナダを代表し宣教師団派遣第一陣として日本に再赴任したのです。ララ発足に関わったのがCCRAであり、CWSを構成したのがCCRAと北米海外宣教協議会だったという経緯から、UCC-CWS-ララ-日本をつないだのはバット博士でした。バット博士はララとCWS発足を待たずして、既に1946年3月に北米海外宣教協議会から任命を受け、日本に向けて出発していました。そして、1946年5月にCWSが組織化されてからは、所属がCWSに移り、給与や生活費もCWSから支払われるようになりました。それに対する彼の感謝を表す手紙も見つかりました。

 

写真:オフィスのバット博士とローズ女史 (United Church Archives, Toronto. 2000.017P/3968. [G.E. Bott, Esther Rhoades], [195-?].)