11 10月, 2016
  • By CWS JAPAN
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ララを支えた三人の宣教師たち①

ララに魅せられて

そもそも私が「ララ物資」という70年前の古い話に関心を持ってしまった理由の一つには、縁あって勤務している自分の団体が、あの有名なララ物資を送り出していた団体だったから。今までどれだけ多くの人に「ララなんて知っている人そんなにいないよ」と言われたことか。なぜ自分がララを知っていたのか?もう今となっては全く思い出せないのですが、これまで国際協力や人道支援に携わってきた人生のどこかで知ってしまった、所謂「人道支援の先がけ的史実=ララ」に不思議な憧れを感じていました。

自己紹介の時にはたいてい「あのララ物資を送り出したCWSです」と言っていました。そんな時、一番反応して下さったのがYMCAのスタッフの方々でした。そして、元YMCAの職員の方が執筆された「愛わがプレリュード」(1994年:日本基督教団出版局)という本を紹介されました。もしも、この本に出会わなければ、おそらく、こんなにもララにのめりこむことはなかったし、たとえどんなに本部にプレッシャーをかけられても70周年記念イベントを開催してやろうなんて気持ちには決してなれなかったのではないかと今思います。実は、この本の著者も冒頭で似たようなことを書いてらっしゃいます。著者は神田の古本市でたまたま見つけた本を読んで、運命的な出会いを感じて執筆してしまったそうです。

私はそこまで追求できるかどうか疑問ですが、今なら著者に共感できます。なぜそこまでハマってしまうのか?それは、あれだけの大事業だったわりにはあまりにも資料が少ないこと、そしてあまりにもその史実が社会に認知されていないことです。最初は、上記の本1冊からスタートしました。そして、本の中に登場する方々のことを調べ始め、もちろん多くの方々はもうお亡くなりになられていますが、それでも糸を手繰り寄せるように、国内外から資料を集め、色々な方々を紹介されお会いしてきました。そんな中で、驚くほど色々なところで色んな方々がララを通じてつながっていることが分かりました。私を最も駆り立てたのは、ララ物資救援事業を陰で支えていたララ三代表のことがあまりにも(国内外の)人々に知られていないことが分かり、今伝えなければ埋もれてしまうとの思いからです。

エスター・B・ローズ女史

ララ三代表の中で最も日本人に知られているのは、もしかしたらローズ女史かもしれません。ローズ女史は港区にある普連土学園http://www.friends.ac.jp/の、沿革紹介ページに掲載されているほど、その生涯を教師として普連土学園に捧げた方であり、さらには、戦後、現在の天皇皇后の英語教師もしていたという方です。「ミス・ローズ」という名で親しまれていた彼女は、1896年フィラデルフィア近郊で生まれました。クエーカー(キリスト教フレンド派)教徒であり、初来日は1917年(大正6年)でした。当時21歳の若さで「東京フレンド女学校」(現・普連土学園)の教師として来日して以来35年間、日本で女子教育に身を捧げ、後には「普連土学園」の園長も務められました。

クエーカーは信仰あつく平和主義者であり、ミス・ローズは戦争中に米国が日本の都市を爆撃したのを知って、国務省へ爆撃即時中止の嘆願に行ったという勇気のある女性だったそうです。そして、戦争が悪化していく中で、極端な排外思想のために日本に留まることができず、アメリカに帰国しました。それはアメリカ国内でも同じことで、真珠湾攻撃以来、一般米国人の反日感情が悪化していました。そんな中で、彼女はアメリカ・フレンズ奉仕団職員として終戦まで強制収容所につながれていた多数の日系人の世話を引き受けていました。戦争も末期に入った頃、米国各地の各教派の中に、戦後の対アジア支援の準備を早くしなければという声が出始めました。その空気を最も喜び東奔西走した彼女が、フレンド奉仕団の代表として、またララ代表として再来日を任命されたことは自然なことでした。戦後、この重責を負って再来日した彼女は、先ず日本を隈なくまわり、その悲惨な状況を調査ました。そして多くの人々の真に必要とするものをよく心得た上で、ララ代表兼ララ中央委員としての活動を開始しました。

ミス・ローズは当時の写真からも分かるように大柄の女性でした。日本に関する長い知識と経験、戦後の日本の実情に対する深い認識と同情、そこに女性らしい細やかな心遣いを持って、多くの困窮者に対して理解のある救済計画を立てました。その上、度々、母国に帰っては日本の実情を各地で講演し、救援物資を少しでも多く、長く送るよう依頼して廻るという、今で言うファンドレイジングを行っていたそうです。ミス・ローズは普連土学園の教員としての仕事をする傍ら、ララ代表の仕事もこなすという二足の草鞋を履いての活動でした。このように日本における彼女の長年の功績が称えられ1960年には勲三等瑞宝章が贈られました。また、日本赤十字社も彼女に「最高栄誉賞」を贈りました。

写真:昭和24年、乳児院のエスター・B・ローズ女史 (©archives of the American Friends Service Committee.)